いつまでこんなこと、でも。

2022年7月6日に“関取花”がメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースしました。今作は「ありのままの関取花らしさ」をコンセプトに自身がサウンドプロデュースし、ライブサポートでもお馴染みの盟友たちが全編に渡り参加。オンエア後から「ぶっ刺さる」と話題の「明大前」など、100%関取花節の全13曲が収録。歌ネットではインタビューも敢行しましたので、ぜひ改めてチェックしてみてください。

 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを5週連続でお届け!今回は第2弾。綴っていただいたのは、今作の収録曲「明大前」にまつわるお話です。ブラジャーのパッド、自慢のクロスバイク、下北沢のスタジオ…。この歌が生まれたきっかけかもしれない記憶たちを、ぜひ頭のなかで想像しながら、読み進めてみてください。



20時30分、隣の部屋から爆音で聴こえてくるジブリの名曲メドレー~ボサノヴァver.~に若干イライラしながら、私はいつも通り部屋を出た。ドアを開けるとそこはマンションの内廊下で、世の中のあらゆるモヤモヤを溜め込んだみたいな生ぬるい空気がいつも通り充満していた。
 
私はここを通る時、息を止めて歩く。ほんの少しでもこの空気を吸い込んでしまったら、なんだか悪い“気”にこの身が毒されそうてしまいそうだからだ。玄関の内側でたっぷり吸い込んでおいた息を胸のあたりに溜め込み、うつむき加減に歩いていると、端っこの部屋の前にブラジャーのパッドが一枚落ちているのを発見した。
 
ポツポツとついた毛玉と疲れを感じさせるベージュの色、シワシワでもはやお椀の形が崩れきっているそれからは、なんとも言えない哀愁が漂っていて、私は思わず足を止め息を吐き出した。こんなになるまで頑張って、それでもいつしか迷子になり、最終的には完全に行き場を失ってしまったパッドのあまりにも孤独な姿に、妙に胸が苦しくなったのである。
 
この子はこのまま朽ち果てていくのだろうか。運よく持ち主が見つけて拾って帰らない限り、週末まで放置され、日曜日には清掃のおじさんが無表情で回収、その後は有無も言わさずゴミ箱行きだろう。せめてその前に、ずっと一緒に切磋琢磨してきたであろうもう片方のパッドに会わせてやりたいと思ったが、あいにく私にはどうしてやることもできない。泣く泣く内廊下を出た私は、そのまま外階段を下り、マンションの駐輪場へと向かった。
 
6畳1K(と言ってもほぼワンルーム)家賃5万円ほどのそのマンションは、築年数もかなり経っていて、駐輪場にはもちろん屋根などなかった。大学生の時にバイト代を貯めて買った自慢のクロスバイクは、ここに越してきてからというもの、砂埃と雨による錆つきで、みるみるうちに劣化していった。学生時代にイキって貼った派手なステッカーも、日焼けしてボロボロなうえに端っこの方は剥がれ落ちていて、元のデザインがどんなのだったかさえすっかりわからなくなっていた。かろうじて覚えているのは、たしか犬のイラストだったということくらいで、18歳の頃に買ったのでもはや自分でもよく覚えていない。
 
あれから何年が過ぎただろう。いつの間にか効きの悪くなったブレーキと妙にベタベタするハンドルを握りしめ、私は自転車にまたがった。丸まった背中に、ギターと捨てきれない希望を背負って。
 
週に何回か、この決まった時間に家を出る。21時から個人練習で下北沢のスタジオを予約しているのだ。普通であればそんなに飛ばさなくても15分あれば到着する距離なのだが、何せ私はのろい。一人暮らしを始めてもう何年も経つというのに、未だに「この道で本当に合っているのだろうか」と、いちいち不安になってしまう。その横を、私のなんかとは比べものにならないくらいピカピカで洒落た自転車たちが、颯爽と通り過ぎて行く。彼らはどこから来て、どこに向かっているのだろう。どうしたらあんなに確信に満ちた様子で走れるのだろう。羨ましさと悔しさと虚しさが同時に襲いかかってきて、私の自転車はまた減速する。渡れるはずだった青信号を逃し、赤信号でまた立ち止まる。
 
スムーズに前に進めない自分への苛立ちを抑えようと、こういう時、私は半ば無理矢理に適当なメロディーを口ずさむ。どこかで聴いたようなもののこともあれば、無意識にまったく新しいものが出てきたりもする。この日はなんとなくいいのが浮かんだ気がした。歌詞はまだ思いつかなかったので、あとから考えることにした。
 
頭の中でさっき浮かんだメロディーをぐるぐるさせながら、青信号と共に交差点を渡る。環七を走り抜け、左へ曲がり、少し行けばそこはもう下北沢だ。駅に着いてからは人が多いので、自転車からは降りて歩くことにしている。スタジオまでは徒歩約5分、メロディーは忘れずにまだ残っている。
 
スタジオに到着し、ギターを取り出す。適当にコードをいくつか弾いてみたりしながら、流れで練習を始める。といっても、何かやることが決まっているわけではない。バイト漬けの毎日を過ごしていると、自分が何者なのか忘れそうになる日がたまにあるので、こうして定期的にスタジオに入っては、ここにいる理由を確かめているのだ。家でもギターは弾けるし歌も口ずさめるが、大きい音は出せない。というか、出そうと思えない。隣の部屋からあまり気分じゃない時に爆音で音楽が聴こえてきた時の気持ちは、痛いほどよくわかっているからだ。
 
さっき思いついたメロディーに、コードをつけてみる。ここはたぶんサビの部分になるだろう。試しに歌詞も適当につけてみようか。何も考えずに、とにかく言葉を乗せて歌ってみる。
 
嗚呼 そしてまた今日が終わる
僕は一人途方にくれる
何もできず 何一つ変われず
 
無意識で生まれたメロディーに無意識で歌詞を乗せてみると、思わぬ本音が飛び出してきたりする。人には言うまい、決して見せまいとしてきた自分の中の弱さやドロッとした何かが、待ってましたと言わんばかりに溢れてくるのだ。でもその勢いはいつまでも続くとは限らない。結局この日、スタジオ内では他の部分の歌詞は思いつかなかった。全体のメロディーが拾えただけでもよしとしよう。
 
そしてなんやかんやと他の曲に取りかかったりしているうちに、あっという間に時刻は24時になっていた。ギターを弾いて歌っている間だけは、すべてを忘れることができる。他人と比べてばかりで、本当にこの道で合っているのだろうか、未来はあるのだろうかとすぐに不安になり、時にはボロボロのブラジャーのパッドにまで自分を重ね、暇さえあれば落ち込んでいるこの私が、唯一自分を信じられる時間。
 
明日にはどうせまた化け物みたいな輝きを放つ人物が新たに現れて、一瞬にして私を現実に引き戻すだろう。テレビをつければ昨年対バンしたあの子が歌っている。あいつは来月メジャーデビューだ。でも、それでも。天才かもしれないと本気で思える瞬間が、自分のことを好きになれる一瞬のきらめきが、ただ自分だけに夢中になることを許される空間が、たしかにここにはある気がする。だから音楽が辞められない。馬鹿でも夢でも惨めでも、いつまでこんなこと、でも。
 
3時間分のスタジオ代を払うと、私は再び自転車に乗って走り出した。到着した時より少しだけ静かになった下北沢の街には、涼しい風が吹いていた。なんとなく遠回りでもして帰ろうという気分になったので、井の頭線の駅を辿りながら線路沿いを走って帰ることにした。頭の中では、まだあのメロディーが鳴り響いていた。

<関取花>



◆紹介曲「明大前
作詞:関取花
作曲:関取花

◆メジャー2nd FULL ALBUM『また会いましたね』
2022年7月6日発売
UMCK-7170 ¥3000+税
 
<収録曲>
1.季節のように
2.ねえノスタルジア
3.風よ伝えて
4.やさしい予感
5.長い坂道
6.明大前
7.ミッドナイトワルツ
8.道の上の兄弟
9. 障子の穴から
10.モグモグしたい
11.青葉の頃
12.ラジオはTBS
13.スポットライト