橙色に染まる部屋はなんだかこわい。

 2022年5月から“植田真梨恵”が、3カ月連続でシングルを配信リリース!5月28日にグランジテイストのギターロック「“シグナルはノー”」、6月29日にメジャー1stシングル「彼に守ってほしい10のこと」のカップリングに収録されていた「ダラダラ」のフルアレンジバージョン、7月24日にこれまで何度もライブで披露している「BABY BABY BABY」を配信リリース。
 
 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“植田真梨恵”による歌詞エッセイをお届け!今回は第1弾です。綴っていただいたのは、新曲「“シグナルはノー”」にまつわるお話。11年前に生まれたこの曲を今、どんな思いで世界に放つのか…。歌詞と併せて、このエッセイを受け取ってください。



日に焼けたアルバムと蔦の絡まる苺の実
気がつけばもうどこにも行けなくなっていた二人
 
橙色に染まる部屋はなんだかこわい。夕方、夜の手前にベランダから注ぎ込み西陽で部屋の中がまオレンジになる。この歌詞について書けることがそれくらいしかない。がんばってもう少し書いてみる。
 
MDプレーヤーだったんだろうか。DVDプレーヤーだったかもしれない。「NO SIGNAL」と映し出された文字に切なさを感じていた。
 
歌ネットのページを見ているあなたが、ポエミーな世界をばかにしない人だと信じて書くよ。こんなことツイッターには書けない。恥ずかしいもん。そんなものに切なさを感じるなんて。何を機械に感情移入して。どんなけ切なさに飢えているの。今となってはこんなこと書くの恥ずかしいけど、私は切ながりさんなのだ。なんだそれは。
 
"NO SIGNAL"信号がありません
 
宇宙へたった2人で旅立った恋人が、空中を彷徨ううちにお互いを繋いでいる信号が、少しずつ少しずつ離れて途切れていく。いよいよ何も聞こえなくなって宇宙服の中の目の前の画面に"NO SIGNAL"と表示される。そんな物語を空想した。
 
今の私の部屋には、寝室があってキッチンがある。当時、私が住んでいた部屋はワンルームで、東向きの窓からオレンジの西陽が容赦なく照りつける中この曲を書いた。
 
この曲を書いたのは11年も前のこと。それからいろんなものが変わって、音楽シーンもかなり変わった。何を書いたらいいのかわからなくなっていた私に、久しぶりに何曲かの曲が生まれた。それが「ダラダラ」「最果てへ」「“シグナルはノー”」「BABY BABY BABY」という曲たち。
 
これを読んでいるあなたの生活にどうしたら、この曲が関わり合いを持てるのかわからない。なぜなら、空想の物語であって感情ではない。けっこう関係のない話かもと思う。
 
あなたを好きで、会いたくて、そんな歌詞を書けていない。仕事がつらくて、そんな共感も多分ないと思う。ほんとうに大事なものはこれだよ、って何か教えてくれるわけでもない。この曲たちに、どうしたらあなたの生きている日常の架け橋をかけてあげられるのかわからない。それなのに必要とされるだろうか。そこにまったく自信がない。
 
つい先日、音楽をむしょーに聴きたくなった。2ヶ月前に私は財布を落として、中にデビッドカードが入っていたので、やむなく止めた。財布は見つかってない。そういうわけでサブスクで音楽を聴ける方法がなくて、2ヶ月のあいだ気軽に音楽を聴くことができなかった。2022年の今私は、たいていそうやって音楽を聴いていたのだ。
 
夜中に部屋で無性に音楽を聴きたくなったので、片っ端から聴きたいものをかけているうち、なんかものすごく気持ち良くなってきた。ふだんは飲まないお酒を、ウイスキーをキッチンから出してきて濃いーオレンジのまんまコクコク飲んだ。お香も炊いた。電気も消して、立ったままで聴いてたら踊っていた。なんだこれ。へんなやつ。気持ち悪い。こんなとこ人には見せられん。
 
気持ちいい音楽を聴いて、こんなふうになるんだなあと思った。人って。猫が不思議そうに見ていた。それでなんか、その日はものすごくいい日になってしまった。私は疲れて眠った。音楽が気持ちよかった後は無音も気持ちよかった。
 
そんなふうな音楽の力を、生まれてこのかた知らなかったのかもしれないなとすら思う。この"シグナルはノー"を、必要としてくれる人がいるだろうか。全然自信がないけれど、そんな曲たちをしばらく私は出していきます。
 
私にとってはものすごく、ものすごく大好きな曲。誰のことも救ったりはできないかもしれない。これをライブで実際に鳴らせる日が、ほんとうにたのしみだなあ。

<植田真梨恵>


◆紹介曲「“シグナルはノー”
作詞:植田真梨恵
作曲:植田真梨恵