作詞における3つの柱と、その柱に影響を与えた歌詞たち。

 2020年11月25日に“Helsinki Lambda Club”が全13曲入りのセカンドフルアルバム『Eleven plus two / Twelve plus one』をリリースします。コンセプトは【ヘルシンキの過去から現在、そして未来】です!実験精神と冒険精神が溢れる今作、是非ご堪能あれ!尚、歌ネットでは収録曲の全歌詞も先行公開中なので、併せてチェックを。
 
 さてに、今日のうたコラムではそんな最新作を放つ“Helsinki Lambda Club”の橋本薫による歌詞エッセイをお届け!綴っていただいたのは、彼の歌詞における3つの柱についてのお話です。さらに、その柱に影響を与えたアーティストとその歌詞についても明かしていただきました。是非、こちらのエッセイを読んだ上で、Helsinki Lambda Clubの歌詞をお楽しみください…!

~歌詞エッセイ:作詞における3つの柱~

初めまして、Helsinki Lambda Clubの橋本薫です。今回“歌詞”という大きなテーマについてエッセイを書かせていただくことになりました。色々と考えた結果、僕が歌詞を作る上での大きな3本の柱について、そして、それぞれの柱に影響を与えた歌詞について書いていこうと思います。というわけで、改めて歌詞について考えてみた後に自分のバンド名を見てみると、全然歌詞のこととか重視してなさそうな名前だなと思ってしまった。絶対誤解されてるよな。大丈夫かな、名前変えようかな?笑

まず1つ目の柱は、「余白」。

もう少し具体的に言うなら解釈の余地があるということ。小説などでも行間を読むとか言うように、紡がれた言葉と言葉の間にある感情や情景を受け取り手がそれぞれの形で思い巡らすことができるということ。ポピュラーミュージックである以上、聴き手が共感して満足する世界を描ければそれで良いのかもしれないが、アートを産み出すということは、産み出されたものがそのままの形で静かに永遠に横たわっているべきではなく、受け取った人たちの中で姿を変え未来にも何らかの形で息づいていくのが理想だと個人的には思う。ありのままの出来事をそのままの形で伝えるなら日記や会話で済むもの。そういった考えに一番影響を与えたのはゆらゆら帝国、中でも「空洞です」の詞だ。

“なぜか町には大事なものがない
それはムード 甘いムード
意味を求めて無意味なものがない
それはムード とろけそうな”
空洞です」/ゆらゆら帝国


大人になるにつれ、仕事でも何でも結論や意味を求めたがってしまうが、日々を彩るものや深い感動を覚えるものは、無意味なものというか理解を超えたもの、言葉で説明できないものだったりする。そんな甘いムードを作るのが音楽であり、アートの役目の一つだと考えている。

2つ目の柱は、「開き直り」。

これもなかなか語弊がありそうな書き方なのでもう少し具体的に説明すると、世の中的に正しいとされていることとは違う価値観でもそれで良いんだと言い切ること。また、こういう考え方もあるんだというオルタナティブな選択肢の提示ということとも言える。正しさって何だろう。絶対的な正しさなんて存在せず状況や立場で目まぐるしく変わるはずなのに、その都度考えるなんて面倒で疲れるから誰かが決めた多数決的な正義を常識として日々を過ごしてしまう。

基本的にあらゆる状況においてマイノリティであると感じてしまう僕にとって、こういった何となく刷り込まれた価値観や常識というものに時折、息が詰まって仕方がなくなる。だからせめて歌の中だけでもしがらみから解放されたいし、清廉潔白になんて生きられなかった自分のことも肯定してあげたいと思う。僕の作品の中でそういった気持ちが特に色濃く出たのは「引っ越し」という曲だが、こうした価値観に一番影響を与えたのはTOMOVSKYだと思う。その中でも「SKIP」という曲はニュアンスが近い部分もあると思うので一部挙げてみる。

“途中でやめるのは
あきらめって言うけど
最初の最初なら
ただのスキップだ

順応ってなんだ?
それ本当に
必要なのか?

きまずい空気を
吸い続ける努力が
報われた歴史を
僕は知らない”
SKIP」/TOMOVSKY


物事の見方を変えて考えるというのはこれから僕が生きていく上でも曲を作っていく上でもとても大切なことだなと思う。

最後に3つ目の柱は、「生と死とセックス」。

それぞれで3つの柱になっちゃうじゃんってくらいでかい命題を一つにまとめてしまっているがそこはご愛嬌で笑。何なら更に恋も加えてもいいかもしれない。

年齢的にもロックおじさんになりかかっている手前、やはり連綿と続くロックの歴史を愛する者としては、ロックはすべからくセクシュアルであって欲しいと昔から思っている。それは直接的な歌詞じゃなくて、ビートやメロディでも何でもいいので性的な雰囲気を感じさせて欲しいという。生と死というテーマを強く意識することになったのはここ3年くらいのことで、ここにセックスも絡むようになったのは更に最近の話。

もちろんこの柱において強く影響を与えているのはスピッツ、草野正宗氏だ。ファンの方には周知のように、スピッツの詞世界といえば生と死、そして愛やセックスというものが根底にある。このテーマについて上手く言葉で伝えられる自信はないのだが、まず曲を作る、自己実現をするという原動力の根底には恋愛、突き詰めればセックスがある。モチベーションであると同時にやり切れない思いを歌にすることでどうにか自分を慰めるというかプラスのエネルギーに昇華する。

それはもっと若い頃からやってきたことなのだが、最近はそこに生と死を重ねることが増えてきた。生きたいという欲望はセックスの欲望と根元で繋がり、死にたいという欲求もしくは生きることの意味、目的などを考えることはセックスという行為における生々しさへの躊躇いや満たされると同時に感じる虚無、老いへの恐怖、絶対的なもののように感じていた愛が薄れていく恐怖などを重ね合わせてしまう。

やっぱり上手く説明できなかったが、草野正宗先生の詞のお言葉を借りてそのニュアンスを伝えられれば。個人的にとても生と死とセックスが混ざり合ったフレーズだと思うのが、「愛のことば」のこの一節。

“焦げくさい街の光が ペットボトルで砕け散る
違う命が揺れている
今 煙の中で 溶け合いながら 探しつづける愛のことば
もうこれ以上 進めなくても 探しつづける愛のことば”
愛のことば」/スピッツ


凄すぎて、恥ずかしながらどれだけ理解できているのか自分でもわからないが、全てが表裏一体というか、混じり合いながらもがきながら生へと、はたまた死へと向かっているように感じる。生=ポジティブ、死=ネガティブということではなくて、どちらにも両方の側面があって絶えずそのバランスを変えながら人生は進んでいるのだと思う。だからこそこの答えのない生と死というものについて、その時々の感情や価値観で歌っていくことで、その真理のようなものを一欠片でも見つけられたらなと願ってしまう。

以上が僕の作詞における3つの柱でした。よかったらじっくり僕の歌詞も読んでみてください。それではまた。

<Helsinki Lambda Club・橋本薫>

◆『Eleven plus two / Twelve plus one』
2020年11月25日発売

<収録曲>
01 ミツビシ・マキアート
02 Debora
03 それってオーガズム?
04 Good News Is Bad News
05 パーフェクトムーン
06 Shrimp Salad Sandwich
07 Mind The Gap
08 午時葵
09 IKEA
10 Sabai
11 眠ったふりして
12 Happy Blue Monday
13 you are my gravity