心という器の中に、思いという花を飾っていく

 4人組バンド“Halo at 四畳半”が、2019年10月10日に新曲「ナラク」を、10月27日に新曲「花飾りのうた」を配信リリースしました。尚、「ナラク」は、テレビアニメ『ラディアン』第2シリーズのオープニングテーマ、「花飾りのうた」はテレ東の真夜中ドラマ『江戸前の旬season2』エンディングテーマとして起用されております。
 
 さて、今日のうたコラムでは、Halo at 四畳半のボーカルであり、全曲の作詞作曲を手掛けている“渡井翔汰”による歌詞エッセイを2週に渡りお届け!自身のTwitterで『「ナラク」と「花飾りのうた」はどちらも根っこを辿ると“心”をテーマにした曲になっています。“奈落”と“花”はほど遠い存在のようで、実は凄く似たもの同士。その違いも含めて楽しんでみてください』と綴っていた彼。後編ではその“花”サイドである「花飾りのうた」について執筆していただきました。じっくりとご堪能ください…!

~「花飾りのうた」歌詞エッセイ~

 花が好きだ。性質や種類に詳しいというわけではない。モチーフとしての花が好きなのだ。花や雨や星は他のどの事象よりも強く感性を刺激してくる。

 これまでも花にまつわる歌を何曲かつくってきた。生まれて初めてかいた曲も花の歌だった。水をやり、陽を浴びて、種が芽を出し、空に伸び、花開き、枯れていく。その姿は生命力に満ち溢れていて、鳥よりも、魚よりも、猿よりも、人によく似て見える。

 「花飾りのうた」は“花の飾り物”の歌ではない。“花を飾ること”の歌だ。

 ある日、BSテレ東のドラマ『江戸前の旬season2』から主題歌の書き下ろしの依頼がきた。前作の『江戸前の旬』でも我々の楽曲「悲しみもいつかは」を主題歌に起用していただいている。前作と今作では楽曲の提供の仕方が異なっていて、前作は既に曲をかき終えた状態から起用が決まり、今作は作品を踏まえた“書き下ろし”の依頼だった。

 すぐに制作チームとの打ち合わせがあり、作品に込めた思いや前シーズンとの差異を聞いた。その中で「伝えること、伝わっていくもの」というテーマが心の中にぼんやりと浮かび、それをHalo at 四畳半というフィルターを通して音と言葉に落とす作業がはじまった。

 今記事は歌詞に焦点を当てたものなので多くは語らないが、この曲は作曲の面で大きく苦戦し、3回ほどかき直した経緯がある。NGが出たわけではなく、提出する以前に自分の中で納得がいかなかったのだ。そんな山を乗り越えて、やっとこさ言葉を乗せる段階まで辿り着いた。(言葉から曲を生むこともあるが、今回はドラマのエンディングということもあり音のイメージから形にしていった。)

 「伝えること、伝わっていくもの」詰まるところが「思い」というのは何であるのか。この目には映らないそれを、人は伝え合う。今ここにいる私から遠く離れたあなたにこの文章が届いているように、言葉におこすことで私はその姿を見る。

 人の言葉はどんな薬よりも心を癒し、どんな凶器よりも心を傷付ける。贈り合い、心に飾るその様を想像すると、思いとは花によく似ているように思えた。心という器の中に、思いという花を飾っていく。思い返すことで花は陽の目を見て、水が与えられる。一度飾ったとしても、忘れてしまえば花は枯れる。

 名前も意味も無い花に、名前を付けたのは人で、意味を見出したのも人だ。思いに学術的な決まりはないし、名前も意味もない。同じ思いであっても伝える人、受け取る人が異なればそこに芽生える意味も変わっていく。

 どれだけ時代が進もうとも、どれだけ文明が発展しようとも、その術が変わるだけで、思いを無くすことも変えることもできない。だからこそ人は悩み、受け取った思いに一喜一憂し続けることになる。ただ、その心に飾られた花は、人が人と生きている何よりも確かな証拠だなのだ。それが嬉しく、愛しく思う。

 ひとりでは幾つも枯らしてしまった心の中に、何度だってまた花を飾れますように。

<Halo at 四畳半・渡井翔汰>

◆紹介曲「花飾りのうた
作詞:渡井翔汰
作曲:渡井翔汰

【前編はこちら!】