何故あたしはこの駅で留まってしまっているのだろうか。

 佐賀県出身のシンガーソングライター“カノエラナ”が2022年デジタルシングル3作連続リリース!その第2弾シングル「ヤコウレッシャ」を2月23日にリリースします。出会いと別れの季節にぴったりの1曲。ストリングスとピアノが印象的で、深夜出発をし、朝日に向かって走る<夜行列車>に想いを乗せたバラードナンバーとなっております。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“カノエラナ”による歌詞エッセイをお届け。今回は第2弾。綴っていただいたのは、今作「ヤコウレッシャ」にも通ずるお話です。いくつも列車が通り過ぎ、いろんなひとが行き交う、とある駅のベンチ。せわしなく動く世界のなかで、<あたし>だけ留まってしまっている理由は…。歌詞と併せて、受け取ってください。



ガタンゴトン ガタンゴトン
 
もういくつもの列車が目の前をぬるい風と共に通り過ぎて行く。少し離れた場所でお喋りしながらスマホをいじるJK達も、必死に靡くスカートを押さえ笑い合っている。楽しげな声を遠くで聴きながら、あんな時代もあったのかと、色の落ちたベンチの隅でやるせない大人のため息を吐く。
 
一体何時間この駅にいるのだろうか。
何故あたしはこの駅で留まってしまっているのだろうか。
 
考えることはニ時間半前に辞めたのだけれど、またふとその考えが巡ってしまい、突然虚しさに襲われた。吐き気がする、頭が痛い、けれどあの六畳の深海に帰りたくない。
 
都会の人の多さにはもう慣れたか? と度々周囲に聞かれるがそんな訳がない。慣れる訳がないのだ。そもそも人が多い場所を昔から好まない。未だに乗り換えは間違えるし、新宿駅や東京駅はうまく出られた試しがない。都心はやたらと駅中を工事したがるし、完成系がいつまでたっても分からないのだ。少し立ち寄らないだけで、そこにあった筈の店は何ヶ月か後に綺麗さっぱり跡形も無く消えてしまっている。まぁ最後に入っていた店の名前すら思い出せないけれど。
 
東京という街はいつも未完成で、それでも休まずに未来へ動いている。
 
ここまで半分disってきたが、なんだかんだ言って東京は好きだ。人の無関心さ、異物を受け入れてくれる受け皿がある所、流行りのものは何でも揃う所。読みたい本だって、発売日から二日待たなくても良い。少し歩けばどんなものでも手に入れることができるのだ。
 
そんな未完成で心地の良い東京という街で、あたしとあなたは出逢った。
 
うまくやれていた、そう思っていたのはあたしだけだったのか。何度も何度も考えたけど上手くまとまらない。考える程余計分からなくなった。あたしはずっと、この駅に囚われているのに。
 
列車は ガタンゴトン ガタンゴトンと、相変わらず見事な曲線を描いてゆっくりとホームに止まる。
 
車内の人々はみんな下を向いて疲れた顔をしている。止まる瞬間に全員が同じ方向に体を傾ける。大量の人々が列車の口から吐き出される。足元で鳩が3匹せっせとうろついている。そういえばあたしが今長時間座ってるベンチにこれまで何人くらい座ったんだろう。…嗚呼、何も、何も、何も何も何も考えられない。
 
------もういいや、
 
特にきっかけがあった訳でもなかった。ただ、今はとにかく心が動かない分、変わる景色をこの目で見たかった。何も、どこに行くかも決めていないけれど、あたしは立ち上がってホームを歩き出す。
 
ふと振り返ると、温かくなりすぎたあのベンチには既に新しい人が座っていた。

<カノエラナ>