わたしが作詞をする理由。

 2020年11月18日に“瀧川ありさ”が2nd mini Album『prism.』をリリース!2015年にメジャーデビューを果たし、『七つの大罪』『終物語』『ドメスティックな彼女』など数々のアニメテーマソングを自身の力で生み出し続け、今年5周年の節目を迎えた彼女。今作には、コロナ渦の中、本人が作詞作曲を手掛けた未発表曲が5曲収録されております!

 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“瀧川ありさ”による歌詞エッセイを2週連続でお届け!今回はその【前編】となります。タイトルは『わたしが作詞をする理由』です。彼女が自ら歌詞を書くようになった理由とは? そして、音楽を活動のなかで見つけた、ひとつの“わたしが作詞をする理由”とは? 是非、最新作と併せて、エッセイをご堪能ください…!

~歌詞エッセイ【前編】~

小さい頃から気付けば鼻歌を歌っていました。とにかく音楽が好きだったので、その頃はきっと歌詞はメロディーの飾りくらいにしか捉えていなかったと思います。

少し大きくなって、小学生高学年くらい。カラオケに行ったりして、歌詞をちゃんとなぞって歌うようになると、なぜかむず痒さを感じるようになりました。例えると人様の作文を勝手に我が物顔で音読している感じというか、歌っていても以前のように素直に楽しめなくなっていました。恐らく歌詞の意味も大体わかるようになって、その歌詞の重みが途端にプレッシャーになるようになったからです。

そこで歌手の方々の凄さにも気付き、作詞家さんの歌詞をしっかり自分のものにして歌っているということに感銘を受けるようになりました。

それと同時に、言葉を紡ぐことも好きになって、原稿用紙があるとその決まった文字数の中でぴったりに話をまとめる事にとても快感を覚えるように。ただ、別に何か言いたい事があるわけではありません。そこに空白があると、埋めたくなるだけです。

そうして、気付けば中学生でバンドを組んでいました。初めはコピーを何曲かやりましたが、案の定“何かに縛られている感”があり、すぐ自作曲をやるようになりました。するとびっくり、幼い頃の心から音楽を楽しんでいた気持ちが戻ってきました。更にまた、音に対して自分の言葉を当てていく事がとても面白かったのです。

不思議なことに、作詞を始めると、カラオケに行ってもあまりむず痒くならなくなりました。今度はそれが勉強になったからです。「ここで韻を踏んでいるんだ」「この人は自分で作詞しているから、自分の歌がおいしくなる母音がわかっているんだ」とか、急に分析目線になって楽になりました。

そこから作詞を続けていくと、人それぞれ音楽をどこ中心に聴いているかが違う事を知ります。日本人は歌詞に重きを置いている方が多い印象で、さらに共感性が重要であり、「これは私の歌だ」と思ってもらえる事が大事だったりします。海外だと自分の主張を歌詞にしている方が多いですよね。

これまでもいつも話してきたのですが、“シンガーソングライター”という肩書きはどうしてもその人のノンフィクションが歌詞になっていると思われがちです。もちろんその場合も曲によってはあると思いますが、わたしは物語を作るのが好きで、自分じゃない人生を空想しながら歌詞を書くタイプです。役者さんが役を通じて自己表現するのと近いでしょうか。フィクションの中に本質を見出すことが一つのエンターテイメントだと思っています。

わたしが作詞をする理由、なんて大それたようなタイトルですが、言葉に対するイメージというのもそれぞれ違い、生きている環境も別々の中で、やはり自分の歌詞が誰かのこころの光になった時が一番の喜びであり、わたしが作詞をする理由です。

<瀧川ありさ>

◆2nd mini Album『prism.』
2020年11月18日発売
通常盤 SECL-2634 \1,500+税
初回生産限定盤 SECL-2632~2633 ¥5,000+税