孤独は、愛を知るためにあるのかもしれない。

 2021年4月8日に“佐藤千亜妃”が新曲「カタワレ」を配信リリースしました。現在放送中の、鈴木亮平×吉岡里帆による木曜ドラマ『レンアイ漫画家』主題歌の同曲。ドラマの登場人物の心情を想像しながら「かけがえのない誰かに出会う」「人生の伴侶を見つける」というテーマのもと書き下ろされた1曲となっております。
 
 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“佐藤千亜妃”による歌詞エッセイをお届け!綴っていただいたのは、新曲「カタワレ」に通ずるお話。何故、自分は言葉を必要とするのか。音楽を必要とするのか。そして何故、人間の心はこんなにも不完全に生まれたのか。歌詞に綴られている<君は世界でたった1人だけのカタワレ>というフレーズの真の意味を考えながら、是非このエッセイと楽曲をお楽しみください。

~歌詞エッセイ:愛の起源~

 いつも言葉はふいに溢れ出てくる。浮かんでは消えてゆく日もある。逃げてしまう前に掴まえることができる日もある。まちまちだ。感覚と脳を接続して、言葉を排出する。たったこれだけのことが、なぜ時に難しく、時に心を掻きむしるのだろう。

 私は私のことがいつもわからない。私は私のことを上手く語ることができない。だから。だから、景色を、感情を、想像を、書きとめておくのかもしれない。自分が何者なのか知っていれば、おそらく満ち足りた気分で生きられるのだろう。そして、伝えるための言葉すら必要としなくなるだろう。それは、進化なのかもしれないし、退化なのかもしれない。

 でもやっぱり私は、どこかが欠けたままの自分で愛を見つめていたい。生きる意味の答えがこの世に存在しているとしても、気付かぬふりをして君と朝まで語らっていたい。たどたどしい言葉で、無愛想な表情で、お気に入りの音楽を聴いて。

 何かを隠し通すための言葉があり、そして全てをさらけ出すための言葉がある。詩は、そのどちらもを内包しているものではないか。だから、音楽に求心力と祈りを与える。言葉にならかった景色や感情は音になり、歌詞と音は互いを補い合う。まるでカタワレのように。それが歌だ。

 そう思ってふと、「カタワレ」という曲について考える。哲学者プラトンが提唱した“人間球体説”をヒントに、歌詞を書きあげた曲だ。かつて人間は、二人でひとつの球体だったが、二つに引き裂かれてしまう。そして人間はその自分の半身を探す旅をしている。それが愛の起源である、というような話。プラトニックラブの語源にもなっているらしい。ロマンチックに聞こえる話だが、本当はきっと悲劇だ。どうしてこうも人間の心は不完全に生まれたのだろう、という疑問が解けた気がした。孤独は、愛を知るためにあるのかもしれない。

 誰かの心の穴を埋めてあげることはできなくても、その穴ごと包んで、少しだけ楽になれるような言葉を紡いでいきたい。そのために私は生きていきたい。

<佐藤千亜妃>

◆紹介曲「カタワレ
作詞:佐藤千亜妃
作曲:佐藤千亜妃