なにがしたくてここまで、そんなの上京3年目で消えたんだ。

 ヒグチアイが、9月から3ヶ月連続で新曲をデジタルリリース!2021年11月24日にリリースされたのが第3弾楽曲「やめるなら今」です。社会に出て、描いていた夢やなりたいものに向かって歩み出してから、誰もが直面する理想と現実。生まれる葛藤や挫折。その末に迫られる決断。人生の岐路に立つ方に、耳を傾けてほしい1曲となっております。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな最新作をリリースした“ヒグチアイ”による歌詞エッセイを3ヶ月連続でお届け。今回が最終回です。綴っていただいたのは、新曲「やめるなら今」に通ずるお話。何度も音楽をやめたいと思う気持ちが現れながらも、今も続けているその理由とは…。是非、楽曲と併せて、このエッセイを受け取ってください。



ライブ前、鏡の前で前髪と服の皺を撫でていると、ふと「なんでこんなところにいるんだろう」と疑問が浮かんでくる。いやいやと首を振って考えないようにする。
 
大きな声を出すのが苦手で、友達とご飯をするときはなるべく静かそうな店を探す。バイト中、客席にコーヒーを運ぶと一瞬会話が止まる。「お待たせしました」とコーヒーを机に置く動作を見られているのがとても苦手だった。
 
そんなわたしが、なぜ、人前でライブをしているのか。それは、勘違いからだったと思う。
 
人前に出て何かをすることが得意で好きだと思っていた。22歳ぐらいまでは。だんだんヒグチアイと樋口愛は乖離していたのに、気付いていなかったときが一番辛かった。なにもかもがうまくいかなくて空回っていた。やりたい自分となりたい自分が普段のわたしとは真逆のところにいたから。
 
樋口愛としてステージに出てずっと緊張したままライブをするのはしんどかったし、それならと、どうにかしてヒグチアイに近付けようとしたけど、心が保たなかった。その頃から、やめたいと思う気持ちがよく現れるようになっていた。
 
やめたい、と、やめる、の間には大きな川が流れている。あちら側の世界に行ってみたら案外音楽のことなんか思い出さず生きていけるかもね。単純作業とかレジ打ちが好きだから、きっと生きていける。でも知ってしまえば、帰ってくることはできないと思う。人生はいつも一方通行だから。
 
わたしは、川を渡ることの恐怖心から、ずっとこちら側にいるのかもしれない。もしかしたらただの水溜りかもしれないその濁流をいつも眺めてる。眺めながら歩いてきたら、ここまで来てしまった。
 
未だによくやめたいと思う。衝動的なものではなく、カセットコンロのガスが切れるように、パチパチと音を立てながら、だんだんと火が小さくなっている。でも最近、気付いた。やめたいやつとやめたいのをなだめているやつが同時に存在している。その二人のわたしはきっとあの頃のヒグチアイと樋口愛だ。
 
「とかいっちゃってさ、結局やめないんでしょ? はいはいレーズンサンドでも食べて、ほら、明日からでいいからやるよ」って言ってる樋口愛がいる。濁流を眺めるヒグチアイの手を引きここまで歩かせて、【ご報告】の文章を作るヒグチアイのメモ帳を消して、もう何も書くことがないとゲームばっかりするヒグチアイのやる気を待つ樋口愛。
 
本当のわたしは才能なんかなくて、穏やかで、緊張しいで、人前が苦手で、アーティストに向いているとは思えない人間だけど、そのわたしがいなければ、やめたいわたしは勝手にやめていた。樋口愛はヒグチアイに憧れていて、ヒグチアイは樋口愛に助けられていた。なりたいだけだった私はいつしか、必要不可欠な存在になっていた。
 
なんだっていい、そのままでいい。わたしはわたしを認めてるから。きっとそんな風にして、続いていく未来を信じていける気がする。

<ヒグチアイ>

◆紹介曲「やめるなら今
作詞:ヒグチアイ
作曲:ヒグチアイ