さて、“愛”はどう感じることができるのでしょうか?

 2021年5月12日に“さかいゆう”がニューアルバム『愛の出番 + thanks to』をリリースしました。CD2枚組でリリースされる今作。『愛の出番』と題されたCD1は“愛”がテーマの作品集。CD2の『thanks to』は今年1月にアナログLPとデジタルリリースされたアルバム全8曲を収録。代表曲「BACKSTAY」を中心とした“歌とピアノ”によるサウンドが、そっと寄り添ってくれる作品となっております。

 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“さかいゆう”による歌詞エッセイをお届け。綴っていただいたのは、新曲「愛の出番」に通ずるお話。愛とはどう感じることができるもの? 愛とは自分にとって都合の良い事だけを意味するもの? 愛するとは? 愛されるとは? そして、さかいゆうのある“愛”の記憶とは…? みなさんも“愛”についてじっくりと掘り下げながら、このエッセイと歌詞をお楽しみください!

~歌詞エッセイ:「愛の出番」~

前回、僕が書かせていただいた「BACKSTAY」の歌詞エッセイのインスピレーションも助けて、新曲「愛の出番」を書き上げました。

“愛”、言わずもがな誰もが知る言葉ですが、一般的に英語に訳される“LOVE”と同じ意味かと言われると、少々違う気もします。

ドラマ『北の国から』の「誠意って、、なにかね?」さながら、「“愛”って、、なんだろう?」と考え始めると、結局、確たるアンサーには行きつかない…。というか、人の数ほど、さらに言うと本人でさえ、時期や経験によってその意味合いや表現方法の変わる可能性もある「確かにあるけど不確かなモノ」だと感じます。

“愛”という言葉は平安時代あたりから、“かなしい”と読み、“相手をいとおしい、可愛いと感じ、守りたい思いを抱くさま”を意味するそうです。うーん、やはり、“I love you.”とは、近いけど少し違う気がします。

“愛”、それを分かり易い親切な行動で表現したり、言葉で示したり。スピリチュアルな世界に傾倒されている方は、オーラみたいなモノに例えて大きさや質を表現したりします。一般的には、目には見えない事に一応なっているけど、感じる事ができるのが特徴です。

さて、“愛”はどう感じることができるのでしょうか?

何か、自分が親切をされた時に感じるモノなのでしょうか? その時、その親切に“愛”みたいなものを感じるとは思いますが、それは「自分にとって都合の良い行為」の場合には感じやすく、相手が「良い事だと思ってやった事がこちらにとって都合の悪い事」だったらどうでしょう? その時、相手の気持ちだけを汲み取り、それに“愛”と名付ける事はできますが、もしこちらにその余裕がなかったりむしろ害にすらなる場合、“愛”どころか「ありがた迷惑」にも感じるでしょう。

例えば、自分に全く好意を抱いてない相手に「きっといつか振り向いてくれる!私が俺がパートナーとして相応しいんだから!」と一方的に、断られても断られても延々と告白し続ける。それは、こちらからしたら“愛”ですが、相手はどう感じるでしょうか? 「ありがた迷惑」を超え、「ストーカー」という、ここ20~30年くらいで出てきた(たぶん昔もあったでしょうが)新しいジャンルの犯罪と紙一重の出来事になります。

しかも、その“愛”には意外なほど短い賞味期限の時もあり、一旦さめてしまうと、今度は熱を上げていた自分を恥じる記憶に変わるというおかしさもあります。やはり、自分にとって都合の良い事だけを“愛”と感じるのでしょうか?

今のところまだ、「違う!」と抵抗したい。

“愛”、ゾウやライオンの親が子を助け懸命に生きている映像を、見た時に感じるモノでしょうか? この場合、エンタメ産業として当然の制作者側の営利目的な意図も入っているものです。

例えば、ムカデやゲジゲジが心を通わしながら懸命に助け合う番組を、食事時の夕方6時に放送してスポンサーや視聴者が喜ぶでしょうか?笑 それに共感するマイノリティの方は確かにいらっしゃるかもしれませんが(子供の頃から沢山のムカデやゲジゲジと心を通わしながら仲良く暮らしていた人がいたら、感動できるかもしれません)。

やはり、自分にある程度都合の良い世界でしか発揮してくれないような、自分の脳にオキシトシン、ドーパミン、エンドルフィン、セロトニンなんかをもたらしてくれる好意だけが、“愛”なのでしょうか?

エーリッヒ・フロム先生の本みたいですが、「愛される」ってのは状態にあるので形容詞で、「愛する」ってのは動詞です。“be loved”、「愛される」ってのは、「愛されている状態にある」ですから、「美しい」とか「悲しい」とか、そう感じてしまった以上どうにもならない“状態”であり、「愛する」は、動詞である以上、「走る」「持つ」「思う」、みたいに、肉体や精神を使って努力できる“行為”と言えます。

愛される為に人は様々な努力をします。金持ちになろうとしたり、有名になろうとしたり、着飾ったり、宝石をつけたり、ダイエットしたり。そこは人間を人間たらしめる、ライオンの立髪だの孔雀の羽だの、動物としての自然なアピール行為とも言えますが、最近ふと考えることがあります。

周りを見渡してみると、「愛してくれよ!」となにかと日々「自分活動」に勤しむ人より、何にも飾らなくても、シンプルに「愛する」事ができる人の方が僕にはなんだか幸せに映るのです。たとえその“愛”が届かない事があっても、愛する事自体に積極的な人や愛する事が好きな人、得意な人の方が幸せそうです。

僕はオフィスオーガスタという事務所に所属しています。少々手前味噌な話になり恐縮ですが、彼らを見ていると、まず「愛する」が先なんです。まず、シンガーの声に恋して、それを愛して、「よし!自分らの愛しているものを、仕事として責任を持って、世の中の人にも知ってもらう為に活動しよう!」となるわけです。

僕はその時、何も彼らに与えていません。振り返ると、歌声とも言えますが、彼らに与えようとして歌っているわけではなく、ただ歌っていただけです。だから、まず彼らが僕の声を愛してくれる事から始まりました。もちろん、そこから長くパートナーとして仕事をしていくわけですから、「オトナの話」にもなるわけですが、さかいゆうに限らず、彼らのシンプルな、「愛する」、がスタートなわけです。

今でも鮮明に覚えています。シンガーソングライターの一般的なデビュータイミングをずいぶん過ぎる、29歳になっていた僕は当時、アルバイトで充実していた整体を本格的に学びながら、音楽はひっそりやろうとも考えていました。

恵比寿にあった、前の前のオーガスタの事務所の会議室で、「さかい君の声に惚れたんだよ。年齢なんて関係ない。いや多少はあるかもしれないからノンビリはしないけど、是非一緒にやりたい。一緒にやれなくても応援はさせてほしい。これ持って行ってくれ。ウチの自慢の所属アーティストたちのフェスだよ」と、渡されたのがオーガスタキャンプのDVD。そして、その人は、低身長ゆえに僕と目線が同じ笑、現社長の齋藤さん。

余談ですが、笑、これもまた鮮明に覚えていることがもうひとつあります。スガシカオさんのNHKホールのワンマンライブの舞台裏打ち上げ挨拶の時でした。同じ高知県出身のオーガスタ創業者の森川さんは、初対面でこう言い放ってきました。

「おんしゃあ(お前)高知らしいな、オレとやらないかんがやないが?」

そう笑。歌声とは全然関係なかったけど笑、突然のその自信に溢れた言葉に、今まで綴ってきたいわゆる“愛”を感じてしまい、「この人らと一緒にやらないかんがやない!?」と心の声は叫んでいました。

そして今に至るわけです。さかいゆう。まあ、エド・シーランよりはほんの少しだけ知名度には欠けるそうですが、僕の言葉がこうして貴方の目に届いてくれているのは、彼らが僕の作る音を愛してくれた事がきっかけでした。

彼らのように、所属アーティストを「愛する」というシンプルな行為を当然だと思いたいのですが、世の中の様々なケースを見ていたら、そんな理想的な関係ばかりではありません。

、、、、。

おっと、、つい、うっかり、いらん事喋りそうなので、少々強引ではありますが、そろそろ締めます。

愛の出番、

本当にそう思います。

<さかいゆう>

◆紹介曲「愛の出番
作詞:さかいゆう
作曲:さかいゆう

◆『愛の出番 + thanks to』
2021年5月12日発売
DVD付初回生産限定盤 POCS-23908 ¥5,500(税込)
通常盤 POCS-23010~1 ¥3,300(税込)

CD1:『愛の出番』
1. 愛の出番
2. 嘘で愛して (Tell Me A Lie)
3. 大人だからさ (Getting To Love You)
4. Journey
5. セツナアイ (Dreaming of You)
6. Get it together (Blue Lab Beats Remix)
7. 確信MAYBE (Kenichiro Nishihara Remix)
8. Laughter In The Rain (Urban Soul Ver.)

CD2:『thanks to』
1. 崇高な果実
2. His Story
3. ダイヤの指輪
4. 鬼灯 (Live Ver.)
5. BACKSTAY
6. Magic Waltz (A Capella Ver.)
7. 井の頭公園 (Alone Ver.)
8. Hilarious